完全に私見なんですけど、『現代ではパソコン1つあれば誰にだって作曲が可能だし、作った曲をそのまま世界に発信して世界中の人々に聴いてもらうことが出来る』って言ったら、サリエリは「それは素晴らしい。環境や経済事情に左右されることなく、才能のある人間が才能に満ちた音楽を世に送り出せるのは喜ばしいことだ。それを大勢の人々に聴いてもらえるなら尚更」って言ってくれそうだけど、ファントムは「技術が進歩するのは良いことだが、聴くに耐えない駄作をいたずらに増やして何になる?作曲とは時に何十年とかかる仕事だ。そしてこれが最も重要なことだが、己の執念を燃やして書き上げた最高の曲、その傍らにこそ最高の歌姫が必要なのだ(意訳)」とか言いそう。
エリックはわりと理工学系トンデモおじさんみたいなところがあるので、技術そのものには肯定的だと思う。でも音楽が関わる面においては古典的手法に執着していてほしい、という私の願望です。この場合ファントムなんですけど。
ちなみにサリエリは生粋のオペラ作曲家だったとのこと。
Youtubeでずっと漁ってますけど確かにオペラ曲めちゃくちゃ多いですからね。
「Les Danaïdes」、邦題「ダナオスの娘たち」の「Goire! Gloire! Evan! Evohe!」 とか凄く好きです。
サリエリ関係のCDも欲しいなあ。
ところで作曲家と言えば。
グノーくらいなら聞いたことある気がするんですけれども、レイエール?サン=サーンス?マスネ?ギロー?ドリーブ?全く存じ上げません。そもそも彼らは実在する作曲家なのか?
結論から言えば、答えはウイ(oui)です。
1人ずつ見ていきましょう。と言ってもインターネットで検索して出てくる範囲の情報をまとめているだけなので大したこと書いてません。もしかしたら嘘言ってるかもしれませんのでその時はご指摘ください。まあ気が向いたら図書館とか行きます。行けたら行きます。
※代表作等に関してはFateに1mmでも掠っている作品があればそちらを優先して記載しています。
例えばグノーの代表作に『シバの女王』『ジャンヌ・ダルク』が載っているのはそのためです。
1.グノー
シャルル・フランソワ・グノー(Charles François Gounod)/仏
『オペラ座の怪人』中に名の挙がっている「作曲家グノー」のモデルは100%彼ですね。モデルというか、まあ、ご本人なんですけど。
原作の舞台、「シャニー事件」が起こったのは1880年~1881年頃とされていますが、これはグノー最後のオペラ『ザモラの貢ぎ物』が作られた年にあたります。グノー62、3歳。
代表作の中では『ファウスト』『ロメオとジュリエット』『アヴェ・マリア』、我々に馴染み深いのは特にこのあたりかなと。というか超有名どころですね。
Wiki眺めててまさかシバの女王やエリック・サティの名前を見るとは思いませんでした。
そしてよく見たら来月で生誕200周年じゃないですか。いいタイミングで記事を書きました。
マリオネットの葬送行進曲
ドビエンヌ・ポリニー前支配人の退任記念ガラ・コンサートで披露された曲。以下同。
2.レイエール
エルネスト・レイエ(Ernest Reyer)/仏
検索中に「レイエールは”レイエ”と表記することもある」という情報を手に入れていなければ何も分からず途方に暮れるところでした。本当にありがとうございます。
フラ語は最後の子音は発音しないのでレイエの方が近いんでしょう。
ちなみに代表作の『シギュール』はフランス語で『Sigurd』と綴ります。そのまんま声に出して読んでみましょう。ピンと来ましたか?そうですあの辺に関係してくる作品です。シギュールは「ジークフリート」のフランス語名。『ニーベルングの指輪』が基になったオペラです。
wikiが日本語訳されてなかったので自動翻訳で適当に読んでたら「オペラの収入では暮らしていけなくなったので音楽批評家の道に進み成功した」みたいなことが書いてありました。その件もあり、彼に対しては「それなりに有名な作品は出しているもののその後は忘れ去られた作曲家」というイメージが強いようです。
『シギュール』序曲
3.サン=サーンス
シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)/仏
アマデウスと同じタイプの生まれもっての超天才型作曲家です。
しかもその上音楽分野以外にも詩、天文学に数学、絵画といった分野でもその天才ぶりを遺憾無く発揮していたとか。まさに万能型です。
性格面には色々難があったようですが、1871年には国民音楽協会を創設、フランス音楽の発展に大いに貢献しています。この協会には『カルメン』『アルルの女』等で有名なあのビゼーも会員として名を連ねていました。カルメンは学生時代の音楽の授業で見ました。いいぞ。
なんか少しずつ年代が下ってきましたね。
『死の舞踏』
4.マスネ
ジュール・エミール・フレデリック・マスネ(Jules Emile Frédéric Massenet)/仏
『ラオールの王』でピンと来た方は流石です。作中で頻繁に「ラホール王の書き割り」というワードが出てきますが、まさにその、「ラホール王」です。序盤でジョゼフ・ビュケが首を吊って死んだ場面から、終盤ラウルとペルシャ人がオペラ座の地下に降りていく場面まで、「ラホール王の書き割り」は常に物語と共にありました。ジョゼフ・ビュケは大道具係ですから、言ってしまえば親や世話係が自分の目の前で殺されたようなものです。物言わぬ張り物は一体何を思っていたんでしょうね。
それにしても気になるのが、ガラ・コンサートでマスネが披露したとされる”未発表”の『ハンガリー行進曲』。なぜルルーはマスネにだけこのような曲を与えたのでしょうか。
ちなみに『ハンガリー行進曲』で検索すると『ラコッツィ行進曲』という曲が引っかかります。17世紀末のハンガリー民謡とのこと。
マスネの作品リストには『ハンガリーの風景』という管弦楽曲がありますけど……
『ラコッツィ行進曲』
一応これ置いときます。代わりに。
5.ギロー
エルネスト・ギローErnest Guiraud)/仏
またここに来て異色の作曲家が出てきました。
アメリカ出身で後にフランスに渡り活躍、そして自身のオリジナル作品よりも他者の作品の編集や改訂の仕事のほうが有名……という前4人とは随分変わった活躍の仕方をした人物です。
少し調べてみるとプロデューサー気質というか、編曲の手腕は非常に優れていたようです。また教育者でもあり、後進の育成に力を注いでいました。そういうタイプの人だったんですね。
『アルルの女』第2組曲については、無二の親友であったビゼーが急死したためにその作品が埋もれることを惜しんだギローが編曲に着手した、といったエピソードが出てきました。
しかしルルーが彼を選んだ理由の方が気になります。
ギロー版の『謝肉祭』は残念ながら見つかりませんでした。名前は残ってるんですけど。
『謝肉祭』
仕方がないので山口百恵の『謝肉祭』置いときます。
6.ドリーブ
クレマン・フィリベール・レオ・ドリーブ(Clément Philibert Léo Delibe)/仏
フランスのバレエ音楽を牽引した方。
少し調べていたら当時バレエ音楽は二流作曲家の仕事とされていた、という記述を見つけました。どちらかといえば「職人仕事」だったようです。当時その程度の地位にすぎなかったバレエ音楽を高みへ引き上げたドリーブですが、どうもオペラ座の様式主義は根強く、彼以降フランスバレエは衰退の道を辿ることとなります。なんというか、ドリーブが最初で最後の全盛期という感じでしょうか。
バレエといえばTSUTAYAでパラ見したパリ・オペラ座のエトワール自伝が面白かったです。
『コッペリア』
DVDの映像ですが、パリ・オペラ座の『コッペリア』があったのでどうぞ。
かなり長くなりましたが、要は前支配人退任記念のガラ・コンサートにおいて、当時フランスを代表する上の作曲家6人が同じ場所に集まりタクトを振るった、という設定が『オペラ座の怪人』中にはあるわけです。
時間と資料さえあれば実際(史実)での彼らとオペラ座の関係についても調べられるんですけどね……デカい大学図書館か音大研究室くらいにしかなさそう。
めちゃくちゃ疲れましたけど自分でも勉強になったので満足です。
またいつかこういう記事書こうと思うのでその際はよろしくお願いします。
エリックはわりと理工学系トンデモおじさんみたいなところがあるので、技術そのものには肯定的だと思う。でも音楽が関わる面においては古典的手法に執着していてほしい、という私の願望です。この場合ファントムなんですけど。
ちなみにサリエリは生粋のオペラ作曲家だったとのこと。
Youtubeでずっと漁ってますけど確かにオペラ曲めちゃくちゃ多いですからね。
「Les Danaïdes」、邦題「ダナオスの娘たち」の「Goire! Gloire! Evan! Evohe!」 とか凄く好きです。
サリエリ関係のCDも欲しいなあ。
ところで作曲家と言えば。
一同はバレエ関係者の共同控え室へむかった。そこにはすでに大勢の人がつめかけていた。聞き慣れない外国人名のオンパレード……覚えきれない……だが進むストーリー……双子トリック……アリバイ証明……ウッ頭が
シャニー伯爵の言ったとおり、そのガラ・コンサートはそれまでに例のないほどすばらしかった。幸運にもその夜オペラ座にいあわせた人たちは、いまでも感動をこめて孫や子供たちに当時の思い出を語っている。なにしろグノー、レイエール、サン=サーンス、マスネ、ギロー、ドリーブなどの作曲家たちがつぎつぎと指揮台にあがって自作のタクトをふるったのだ。出演者のなかにはフォールやクラウスのような名歌手もいた。角川文庫『オペラ座の怪人』p28-29
グノーくらいなら聞いたことある気がするんですけれども、レイエール?サン=サーンス?マスネ?ギロー?ドリーブ?全く存じ上げません。そもそも彼らは実在する作曲家なのか?
結論から言えば、答えはウイ(oui)です。
1人ずつ見ていきましょう。と言ってもインターネットで検索して出てくる範囲の情報をまとめているだけなので大したこと書いてません。もしかしたら嘘言ってるかもしれませんのでその時はご指摘ください。まあ気が向いたら図書館とか行きます。行けたら行きます。
※代表作等に関してはFateに1mmでも掠っている作品があればそちらを優先して記載しています。
例えばグノーの代表作に『シバの女王』『ジャンヌ・ダルク』が載っているのはそのためです。
1.グノー
シャルル・フランソワ・グノー(Charles François Gounod)/仏
生没年 | 1818年6月17日~1893年10月18日 |
---|---|
出身地 | フランス・パリ |
職業 | 作曲家/ロマン派 |
代表作 | オペラ『ファウスト』『ロメオとジュリエット』 『シバの女王』 劇音楽『ジャンヌ・ダルク』 交響曲『9つの管楽器のための小交響曲変ロ長調』 声楽曲『アヴェ・マリア』 |
作品中で披露した曲 | 『マリオネットの葬送行進曲』 |
備考 | ●エリック・サティがグノーのオペラ『にわか医師』のためのレチタティーヴォを編曲。 |
『オペラ座の怪人』中に名の挙がっている「作曲家グノー」のモデルは100%彼ですね。モデルというか、まあ、ご本人なんですけど。
原作の舞台、「シャニー事件」が起こったのは1880年~1881年頃とされていますが、これはグノー最後のオペラ『ザモラの貢ぎ物』が作られた年にあたります。グノー62、3歳。
代表作の中では『ファウスト』『ロメオとジュリエット』『アヴェ・マリア』、我々に馴染み深いのは特にこのあたりかなと。というか超有名どころですね。
Wiki眺めててまさかシバの女王やエリック・サティの名前を見るとは思いませんでした。
そしてよく見たら来月で生誕200周年じゃないですか。いいタイミングで記事を書きました。
マリオネットの葬送行進曲
ドビエンヌ・ポリニー前支配人の退任記念ガラ・コンサートで披露された曲。以下同。
2.レイエール
エルネスト・レイエ(Ernest Reyer)/仏
生没年 | 1823年12月1日~1909年1月15日 |
---|---|
出身地 | フランス・マルセイユ |
職業 | 作曲家 |
代表作 | オペラ『シギュール』『不思議な立像』 『サランボー』 バレエ『サクンタラ』 |
作品中で披露した曲 | 『シギュール』序曲 |
備考 | ●上記オペラはオペラ座でも度々再演。 ●後年は作曲家というより音楽批評家としての性格が強い。 |
検索中に「レイエールは”レイエ”と表記することもある」という情報を手に入れていなければ何も分からず途方に暮れるところでした。本当にありがとうございます。
フラ語は最後の子音は発音しないのでレイエの方が近いんでしょう。
ちなみに代表作の『シギュール』はフランス語で『Sigurd』と綴ります。そのまんま声に出して読んでみましょう。ピンと来ましたか?そうですあの辺に関係してくる作品です。シギュールは「ジークフリート」のフランス語名。『ニーベルングの指輪』が基になったオペラです。
wikiが日本語訳されてなかったので自動翻訳で適当に読んでたら「オペラの収入では暮らしていけなくなったので音楽批評家の道に進み成功した」みたいなことが書いてありました。その件もあり、彼に対しては「それなりに有名な作品は出しているもののその後は忘れ去られた作曲家」というイメージが強いようです。
『シギュール』序曲
3.サン=サーンス
シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)/仏
生没年 | 1835年10月9日 ~1921年12月16日 |
---|---|
出身地 | フランス・パリ |
職業 | 作曲家・ピアニスト・オルガニスト |
代表作 | オペラ『黄色い王女』『サムソンとデリラ』 管弦楽『スパルタクス』『ヘラクレスの青年時代』 室内楽『動物の謝肉祭』 |
作品中で披露した曲 | 『死の舞踏』 |
備考 | ●2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われる。そのため神童とされモーツァルトと並び称された。 |
アマデウスと同じタイプの生まれもっての超天才型作曲家です。
しかもその上音楽分野以外にも詩、天文学に数学、絵画といった分野でもその天才ぶりを遺憾無く発揮していたとか。まさに万能型です。
性格面には色々難があったようですが、1871年には国民音楽協会を創設、フランス音楽の発展に大いに貢献しています。この協会には『カルメン』『アルルの女』等で有名なあのビゼーも会員として名を連ねていました。カルメンは学生時代の音楽の授業で見ました。いいぞ。
なんか少しずつ年代が下ってきましたね。
『死の舞踏』
4.マスネ
ジュール・エミール・フレデリック・マスネ(Jules Emile Frédéric Massenet)/仏
生没年 | 1842年5月12日~1912年8月13日 |
---|---|
出身地 | フランス・ロワール |
職業 | 作曲家 |
代表作 | オペラ『マノン』『ウェルテル』『タイス』 『ラオールの王』『サンドリヨン』 間奏曲『タイスの瞑想曲』 |
作品中で披露した曲 | 『ハンガリー行進曲』(未発表) |
備考 | ●『マノン』の大ヒット以降、オペラ作曲家としての地位を確立。マスネのオペラ作品は甘く美しいメロディが特徴とされる。 |
『ラオールの王』でピンと来た方は流石です。作中で頻繁に「ラホール王の書き割り」というワードが出てきますが、まさにその、「ラホール王」です。序盤でジョゼフ・ビュケが首を吊って死んだ場面から、終盤ラウルとペルシャ人がオペラ座の地下に降りていく場面まで、「ラホール王の書き割り」は常に物語と共にありました。ジョゼフ・ビュケは大道具係ですから、言ってしまえば親や世話係が自分の目の前で殺されたようなものです。物言わぬ張り物は一体何を思っていたんでしょうね。
それにしても気になるのが、ガラ・コンサートでマスネが披露したとされる”未発表”の『ハンガリー行進曲』。なぜルルーはマスネにだけこのような曲を与えたのでしょうか。
ちなみに『ハンガリー行進曲』で検索すると『ラコッツィ行進曲』という曲が引っかかります。17世紀末のハンガリー民謡とのこと。
マスネの作品リストには『ハンガリーの風景』という管弦楽曲がありますけど……
『ラコッツィ行進曲』
一応これ置いときます。代わりに。
5.ギロー
エルネスト・ギローErnest Guiraud)/仏
生没年 | 1837年6月23日~1892年5月6日 |
---|---|
出身地 | アメリカ・ニューオーリンズ |
職業 | 作曲家 |
代表作 | 『アルルの女』第2組曲の編曲 未完オペラ『ホフマン物語』補筆完成 |
作品中で披露した曲 | 『謝肉祭』 |
備考 | ●自身の作品は今日ではほとんど知られていない。 |
またここに来て異色の作曲家が出てきました。
アメリカ出身で後にフランスに渡り活躍、そして自身のオリジナル作品よりも他者の作品の編集や改訂の仕事のほうが有名……という前4人とは随分変わった活躍の仕方をした人物です。
少し調べてみるとプロデューサー気質というか、編曲の手腕は非常に優れていたようです。また教育者でもあり、後進の育成に力を注いでいました。そういうタイプの人だったんですね。
『アルルの女』第2組曲については、無二の親友であったビゼーが急死したためにその作品が埋もれることを惜しんだギローが編曲に着手した、といったエピソードが出てきました。
しかしルルーが彼を選んだ理由の方が気になります。
ギロー版の『謝肉祭』は残念ながら見つかりませんでした。名前は残ってるんですけど。
『謝肉祭』
仕方がないので山口百恵の『謝肉祭』置いときます。
6.ドリーブ
クレマン・フィリベール・レオ・ドリーブ(Clément Philibert Léo Delibe)/仏
生没年 | 1836年2月21日~1891年1月16日 |
---|---|
出身地 | フランス・サルト |
職業 | 作曲家 |
代表作 | バレエ音楽『泉』『コッペリア』『シルヴィア』 オペラ『ラクメ』 |
作品中で披露した曲 | 『シルヴィア』のゆるやかなワルツ 『コッペリア』のピッツィカート曲 |
備考 | ●優美で繊細な舞台音楽を残し、「フランス・バレエ音楽の父」と呼ばれる。 ●『コッペリア』の初演はオペラ座。 |
フランスのバレエ音楽を牽引した方。
少し調べていたら当時バレエ音楽は二流作曲家の仕事とされていた、という記述を見つけました。どちらかといえば「職人仕事」だったようです。当時その程度の地位にすぎなかったバレエ音楽を高みへ引き上げたドリーブですが、どうもオペラ座の様式主義は根強く、彼以降フランスバレエは衰退の道を辿ることとなります。なんというか、ドリーブが最初で最後の全盛期という感じでしょうか。
バレエといえばTSUTAYAでパラ見したパリ・オペラ座のエトワール自伝が面白かったです。
『コッペリア』
DVDの映像ですが、パリ・オペラ座の『コッペリア』があったのでどうぞ。
かなり長くなりましたが、要は前支配人退任記念のガラ・コンサートにおいて、当時フランスを代表する上の作曲家6人が同じ場所に集まりタクトを振るった、という設定が『オペラ座の怪人』中にはあるわけです。
時間と資料さえあれば実際(史実)での彼らとオペラ座の関係についても調べられるんですけどね……デカい大学図書館か音大研究室くらいにしかなさそう。
めちゃくちゃ疲れましたけど自分でも勉強になったので満足です。
またいつかこういう記事書こうと思うのでその際はよろしくお願いします。