1905年の欠片

流行ってるみたいだからやるか程度の気持ちで始めたFGOで初日にファントム・オブ・ジ・オペラと運命の出会いを果たし3週間程度の空白期間を経て本格的な育成を開始し聖杯を限界までぶち込み共に人理修復を果たし絆が10になり関連書籍を買い込み雀の涙ほどのグッズを必死に掻き集めモーション変更と性能強化を声高に叫んでいたところに初期鯖モーション変更告知が来て普通に死んだ強欲の壺

カテゴリ: オペラ座の怪人(作品)関係

完全に私見なんですけど、『現代ではパソコン1つあれば誰にだって作曲が可能だし、作った曲をそのまま世界に発信して世界中の人々に聴いてもらうことが出来る』って言ったら、サリエリは「それは素晴らしい。環境や経済事情に左右されることなく、才能のある人間が才能に満ちた音楽を世に送り出せるのは喜ばしいことだ。それを大勢の人々に聴いてもらえるなら尚更」って言ってくれそうだけど、ファントムは「技術が進歩するのは良いことだが、聴くに耐えない駄作をいたずらに増やして何になる?作曲とは時に何十年とかかる仕事だ。そしてこれが最も重要なことだが、己の執念を燃やして書き上げた最高の曲、その傍らにこそ最高の歌姫が必要なのだ(意訳)」とか言いそう。
エリックはわりと理工学系トンデモおじさんみたいなところがあるので、技術そのものには肯定的だと思う。でも音楽が関わる面においては古典的手法に執着していてほしい、という私の願望です。この場合ファントムなんですけど。

ちなみにサリエリは生粋のオペラ作曲家だったとのこと。
Youtubeでずっと漁ってますけど確かにオペラ曲めちゃくちゃ多いですからね。
「Les Danaïdes」、邦題「ダナオスの娘たち」の「Goire! Gloire! Evan! Evohe!」 とか凄く好きです。



サリエリ関係のCDも欲しいなあ。


ところで作曲家と言えば。
 一同はバレエ関係者の共同控え室へむかった。そこにはすでに大勢の人がつめかけていた。
 シャニー伯爵の言ったとおり、そのガラ・コンサートはそれまでに例のないほどすばらしかった。幸運にもその夜オペラ座にいあわせた人たちは、いまでも感動をこめて孫や子供たちに当時の思い出を語っている。なにしろグノーレイエールサン=サーンスマスネギロードリーブなどの作曲家たちがつぎつぎと指揮台にあがって自作のタクトをふるったのだ。出演者のなかにはフォールやクラウスのような名歌手もいた。
角川文庫『オペラ座の怪人』p28-29
聞き慣れない外国人名のオンパレード……覚えきれない……だが進むストーリー……双子トリック……アリバイ証明……ウッ頭が

グノーくらいなら聞いたことある気がするんですけれども、レイエール?サン=サーンス?マスネ?ギロー?ドリーブ?全く存じ上げません。そもそも彼らは実在する作曲家なのか?
結論から言えば、答えはウイ(oui)です。

1人ずつ見ていきましょう。と言ってもインターネットで検索して出てくる範囲の情報をまとめているだけなので大したこと書いてません。もしかしたら嘘言ってるかもしれませんのでその時はご指摘ください。まあ気が向いたら図書館とか行きます。行けたら行きます。

※代表作等に関してはFateに1mmでも掠っている作品があればそちらを優先して記載しています。
例えばグノーの代表作に『シバの女王』『ジャンヌ・ダルク』が載っているのはそのためです。


1.グノー
シャルル・フランソワ・グノー(Charles François Gounod)/仏
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生没年 1818年6月17日~1893年10月18日
出身地 フランス・パリ
職業 作曲家/ロマン派
代表作 オペラ『ファウスト』『ロメオとジュリエット』
   『シバの女王』
劇音楽『ジャンヌ・ダルク』
交響曲『9つの管楽器のための小交響曲変ロ長調』
声楽曲『アヴェ・マリア』
作品中で披露した曲 『マリオネットの葬送行進曲』
備考 エリック・サティがグノーのオペラ『にわか医師』のためのレチタティーヴォを編曲。

『オペラ座の怪人』中に名の挙がっている「作曲家グノー」のモデルは100%彼ですね。モデルというか、まあ、ご本人なんですけど。
原作の舞台、「シャニー事件」が起こったのは1880年~1881年頃とされていますが、これはグノー最後のオペラ『ザモラの貢ぎ物』が作られた年にあたります。グノー62、3歳。
代表作の中では『ファウスト』『ロメオとジュリエット』『アヴェ・マリア』、我々に馴染み深いのは特にこのあたりかなと。というか超有名どころですね。
Wiki眺めててまさかシバの女王やエリック・サティの名前を見るとは思いませんでした。
そしてよく見たら来月で生誕200周年じゃないですか。いいタイミングで記事を書きました。

マリオネットの葬送行進曲

ドビエンヌ・ポリニー前支配人の退任記念ガラ・コンサートで披露された曲。以下同。

2.レイエール
エルネスト・レイエ(Ernest Reyer)/仏

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生没年 1823年12月1日~1909年1月15日
出身地 フランス・マルセイユ
職業 作曲家
代表作 オペラ『シギュール』『不思議な立像』
   『サランボー』
バレエ『サクンタラ』
作品中で披露した曲 『シギュール』序曲
備考 ●上記オペラはオペラ座でも度々再演。
●後年は作曲家というより音楽批評家としての性格が強い。

検索中に「レイエールは”レイエ”と表記することもある」という情報を手に入れていなければ何も分からず途方に暮れるところでした。本当にありがとうございます。
フラ語は最後の子音は発音しないのでレイエの方が近いんでしょう。
ちなみに代表作の『シギュール』はフランス語で『Sigurd』と綴ります。そのまんま声に出して読んでみましょう。ピンと来ましたか?そうですあの辺に関係してくる作品です。シギュールは「ジークフリート」のフランス語名。『ニーベルングの指輪』が基になったオペラです。
wikiが日本語訳されてなかったので自動翻訳で適当に読んでたら「オペラの収入では暮らしていけなくなったので音楽批評家の道に進み成功した」みたいなことが書いてありました。その件もあり、彼に対しては「それなりに有名な作品は出しているもののその後は忘れ去られた作曲家」というイメージが強いようです。

『シギュール』序曲


3.サン=サーンス

シャルル・カミーユ・サン=サーンス(Charles Camille Saint-Saëns)/仏
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生没年 1835年10月9日 ~1921年12月16日
出身地 フランス・パリ
職業 作曲家・ピアニスト・オルガニスト
代表作 オペラ『黄色い王女』『サムソンとデリラ』
管弦楽『スパルタクス』『ヘラクレスの青年時代』
室内楽『動物の謝肉祭』
作品中で披露した曲 『死の舞踏』
備考 ●2歳でピアノを弾き、3歳で作曲をしたと言われる。そのため神童とされモーツァルトと並び称された。

アマデウスと同じタイプの生まれもっての超天才型作曲家です。
しかもその上音楽分野以外にも詩、天文学に数学、絵画といった分野でもその天才ぶりを遺憾無く発揮していたとか。まさに万能型です。
性格面には色々難があったようですが、1871年には国民音楽協会を創設、フランス音楽の発展に大いに貢献しています。この協会には『カルメン』『アルルの女』等で有名なあのビゼーも会員として名を連ねていました。カルメンは学生時代の音楽の授業で見ました。いいぞ。
なんか少しずつ年代が下ってきましたね。

『死の舞踏』


4.マスネ

ジュール・エミール・フレデリック・マスネ(Jules Emile Frédéric Massenet)/仏
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生没年 1842年5月12日~1912年8月13日
出身地 フランス・ロワール
職業 作曲家
代表作 オペラ『マノン』『ウェルテル』『タイス』
   『ラオールの王』『サンドリヨン』
間奏曲『タイスの瞑想曲』
作品中で披露した曲 『ハンガリー行進曲』(未発表)
備考 ●『マノン』の大ヒット以降、オペラ作曲家としての地位を確立。マスネのオペラ作品は甘く美しいメロディが特徴とされる。

『ラオールの王』でピンと来た方は流石です。作中で頻繁に「ラホール王の書き割り」というワードが出てきますが、まさにその、「ラホール王」です。序盤でジョゼフ・ビュケが首を吊って死んだ場面から、終盤ラウルとペルシャ人がオペラ座の地下に降りていく場面まで、「ラホール王の書き割り」は常に物語と共にありました。ジョゼフ・ビュケは大道具係ですから、言ってしまえば親や世話係が自分の目の前で殺されたようなものです。物言わぬ張り物は一体何を思っていたんでしょうね。
それにしても気になるのが、ガラ・コンサートでマスネが披露したとされる”未発表”の『ハンガリー行進曲』。なぜルルーはマスネにだけこのような曲を与えたのでしょうか。
ちなみに『ハンガリー行進曲』で検索すると『ラコッツィ行進曲』という曲が引っかかります。17世紀末のハンガリー民謡とのこと。
マスネの作品リストには『ハンガリーの風景』という管弦楽曲がありますけど……

『ラコッツィ行進曲』

一応これ置いときます。代わりに。

5.ギロー
エルネスト・ギローErnest Guiraud)/仏
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生没年 1837年6月23日~1892年5月6日
出身地 アメリカ・ニューオーリンズ
職業 作曲家
代表作 『アルルの女』第2組曲の編曲
未完オペラ『ホフマン物語』補筆完成
作品中で披露した曲 『謝肉祭』
備考 ●自身の作品は今日ではほとんど知られていない。

またここに来て異色の作曲家が出てきました。
アメリカ出身で後にフランスに渡り活躍、そして自身のオリジナル作品よりも他者の作品の編集や改訂の仕事のほうが有名……という前4人とは随分変わった活躍の仕方をした人物です。
少し調べてみるとプロデューサー気質というか、編曲の手腕は非常に優れていたようです。また教育者でもあり、後進の育成に力を注いでいました。そういうタイプの人だったんですね。
『アルルの女』第2組曲については、無二の親友であったビゼーが急死したためにその作品が埋もれることを惜しんだギローが編曲に着手した、といったエピソードが出てきました。
しかしルルーが彼を選んだ理由の方が気になります。
ギロー版の『謝肉祭』は残念ながら見つかりませんでした。名前は残ってるんですけど。

『謝肉祭』

仕方がないので山口百恵の『謝肉祭』置いときます。

6.ドリーブ

クレマン・フィリベール・レオ・ドリーブ(Clément Philibert Léo Delibe)/仏
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生没年 1836年2月21日~1891年1月16日
出身地 フランス・サルト
職業 作曲家
代表作 バレエ音楽『泉』『コッペリア』『シルヴィア』
オペラ『ラクメ』
作品中で披露した曲 『シルヴィア』のゆるやかなワルツ
『コッペリア』のピッツィカート曲
備考 ●優美で繊細な舞台音楽を残し、「フランス・バレエ音楽の父」と呼ばれる。
●『コッペリア』の初演はオペラ座。

フランスのバレエ音楽を牽引した方。
少し調べていたら当時バレエ音楽は二流作曲家の仕事とされていた、という記述を見つけました。どちらかといえば「職人仕事」だったようです。当時その程度の地位にすぎなかったバレエ音楽を高みへ引き上げたドリーブですが、どうもオペラ座の様式主義は根強く、彼以降フランスバレエは衰退の道を辿ることとなります。なんというか、ドリーブが最初で最後の全盛期という感じでしょうか。
バレエといえばTSUTAYAでパラ見したパリ・オペラ座のエトワール自伝が面白かったです。

『コッペリア』

DVDの映像ですが、パリ・オペラ座の『コッペリア』があったのでどうぞ。


かなり長くなりましたが、要は前支配人退任記念のガラ・コンサートにおいて、当時フランスを代表する上の作曲家6人が同じ場所に集まりタクトを振るった、という設定が『オペラ座の怪人』中にはあるわけです。
時間と資料さえあれば実際(史実)での彼らとオペラ座の関係についても調べられるんですけどね……デカい大学図書館か音大研究室くらいにしかなさそう。

めちゃくちゃ疲れましたけど自分でも勉強になったので満足です。
またいつかこういう記事書こうと思うのでその際はよろしくお願いします。

親愛なる支配人殿。
ありがとう。楽しい晩だった。クリスティーヌ・ダーエは実にすばらしい。コーラス隊には手を入れること。カルロッタも見事だが、ありふれた楽器というところだ。近々、24万フランの請求書をお送りする。正確には、23万3424フラン70。今年の手あてのうち、最初の10日間分にあたる6575フラン30は、ドゥビエンヌとポリニーからすでにいただいている。彼らの職権は10日の晩までだったからね。
オペラ座のF
(光文社古典新訳文庫『オペラ座の怪人』p82-83)

ポリニー前支配人が新支配人2人に見せた約款書、その第98条に追加された奇妙な項目。
その第5項に記載された『毎月2万フラン、年間24万フランの給金』については、クリスティーヌなら誰しもご存知だと思います。そう、エリックのおちんぎんです。
そしてこの『毎月2万フラン、年間24万フラン』という額が日本円にして一体おいくら万円になるのか?という疑問も、1度くらいは思い浮かべたんじゃないでしょうか。

当時の額とかそういう面倒なことは置いておいて、とりあえず今のレートで計算します。
今の、と言ってもフランスフランは既にユーロに置き換わっていますので、最後の、と表現したほうが正しいのかもしれません。

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1フラン=20.69円、つまり2万フラン=41万3800円。(こちら参照)
その額聖晶石に換算して7039個。
そして年間金額にすると496万5600円。
聖晶石換算で84602個。どひゃー8460連だ
月額41万という数字の絶妙なリアリティ。これは日本において順当にキャリアを積んだ正社員であれば大体40代後半~の毎月の給与に相当する額のようです。(こちら参照)
エリックも大体そのくらいのおっさんだったと思うので、あくまで現代レート換算であればまあそうねえ……くらいの額。ただその請求ルートが脅迫状なんですけど……

とりあえずこの時点で、
「月収41万?それくらいいつも貰ってるけど……」というクリスティーヌはこんなブログ読んでる場合じゃないので今すぐ銀行に行って私の口座に300万くらい振り込んで来てください。口座番号はDMにて個人的にお教えしますのでTwitterまでご連絡くださいまし。
「月収41万?旦那がそれくらいだわ」というクリスティーヌは末永くお幸せに。エリックが全てを犠牲にしてでも通りたかった道を貴女は通っています。
「月収41万?毎月のFXでの稼ぎがそれくらい」というファンキーなクリスティーヌはその調子で頑張ってください。そのファンキーさがあればエリックもメロメロでしょう。

21世紀のレートでの2万フランが41万として、じゃあ当時のレートはどうだったのか。
案の定というかググる前から予想はついてたんですが、ネットで調べるともうてんでバラバラです。1フラン=300円程度と見る意見から、上は3000円程度と見る意見まで。
そもそも当時のフランス通貨自体金233mgがどうたらこうたらと私のようなアホにはよくわからん計算式を採っており、物価も乱高下してたようなので、ネットでちょいと調べた程度では明確な額が出てこないのも頷けます。図書館行くしかないのかなあ。

ぶっちゃけここで私が1から調べるよりも、個人的に詳しく調査・考察なさってるサイトがいくつかありましたので、その中から特に分かりやすかったものを紹介します。
オペラ座の怪人は原作ファンはもちろん舞台ファンがファンサイト作ってるところが多くて面白いコラム読めたりするので有難いんですよね。いつかお気に入りのサイトをまとめて紹介する記事もつくるかもしれません。

『オペラ座の怪人』ファンサイト、『オペラ座の音響室』内、2万フランで何を買う?より。
こちらのサイトの観劇レポや考察を集めた小部屋は一見の価値有り。特に考察に関しては、『オペラ座の怪人』以外の作品の描写を引用して当時の時代背景等を細かく分析してらっしゃるのでオススメ。原作読んでるだけでは駄目だと痛感させられる。
どんぶり勘定で恐縮ですが、まぁ大戦前ということも考慮しますと 当時の通貨は1フラン=200~250円ってトコロでご勘弁願いたんですが(笑) 1930年代と1880年代では、物価水準が10倍くらい違うという話もどっかで眼にしました んで 1フラン=800~1000円くらいって可能性も大なんですよね… もひとつ、当時(1930年代)と現在の小麦の国際相場を比較して1フラン=だいたい 50円くらい という説もあって、そうすると1890年代は1フラン=500円…ああ悩ましい☆

まぁ…でも1フラン=500円くらいと見るのが一番妥当かもしれません。 となると、花売りの花なんてサンチームコイン2・3枚で買えるようなくらいなんだろな…しくしくしく。

で、肝心の御方の…「月給2万フラン」。

1フラン=500円としますと1000万円。 月給1000万かぁ…少しくらい貯蓄にまわしたんだろうなエリック(笑)
聖晶石換算で170392個。無記名霊基が泣いて許しを乞うレベルの不労所得です。
”エリック”はまあ……一旦置いておくとして、”ファントム”と毎月1000万円の不労所得がある生活。想像しただけで鼻からコロラトゥーラが出そうですね。
毎日たっかいワインに上等なオリーブや生ハムやチーズを並べて晩酌して、毎週のようにオペラを観て、旅行に行って、上等な服で着飾って、と夢は無限に膨らむわけですが、”エリック”の方はこういう豪奢な生活を望んでいなかったわけで、従って”ファントム”も慎ましやかな暮らしの方が好みなんでしょう。
人理のゴタゴタが終わったら田舎で小さな家を買って2人で住もうねファントム……
畑も買って化け物みたいなサイズの南瓜作ろうね……
マシュ夫婦とムニエル夫婦呼んで南瓜パーティーしようね……
ホームズとダヴィンチちゃんは呼んでないのに来そうだね。

しかしやはり月給1000万はクソ庶民の私には想像もつかない額ですので、黄金律持ちのサーヴァント、たとえばこのへんの人に聞いたほうがいいとおもいます。たかが1000万程度、3秒で吹き飛ばせるような案をぽんぽん出してくれるはずです

FrbRb
               ↑このへん

わざわざ言うまでもないことですが、何もエリックは稼ぐ手段が無いがために支配人に金をせびっていた訳ではなく、むしろその逆で、様々な分野で大成するのに余りある才能を持っていた。本来であれば律儀にオペラ座へ書翰を送って毎月の給金を用意させる必要などまるでなく、その身一つで世界に名を知らしめることさえ可能だった。その才能が世間から正当に評価される機会があったならば、恐らくは一生困ることのない財産が手に入った。本来なら。しかしエリックにはそれが出来なかった。
月額1000万という我々庶民からすれば途方もない額は、エリックの本来の才能を考えれば、至極妥当な額だったんでしょう。本人がそれを意識していたのかは知る由もありませんが。

やがて『エリックと2万フラン』の関係も、終わりを迎えます。全ての終わりと共に。
「4万フランは返されたのだから、エリックは面白半分に約款書を作って、ふざけていただけなのでしょうか?」
するとペルシャ人はこう答えた。
「そうじゃないさ……エリックはお金が必要だったんだ。彼は自分が人間社会からつまはじきにされていると思っていた。だからぞっとするほど醜い容貌の代わりに自然から与えられた巧みな能力と想像力を駆使して、人間たちから金をせびり取ることになんら良心の呵責は感じていなかった。しかもときには、世にも芸術的なやり方でね。見事な芸当のお代は高くつくってわけだ。彼がリシャールとモンシャルマンに自ら4万フランを返したのは、もうお金が要らなくなったからさ。彼はクリスティーヌ・ダーエとの結婚をあきらめた。地上の幸福はすべてあきらめていたんだ」
光文社古典新訳文庫『オペラ座の怪人』p542

それから、彼は、こんな時間になってもまだお化粧もしてないのかとわたしを叱り、もう午後の2時だとご親切に教えてくれたわ。彼は、30分待ってあげるから身支度をしなさいと言って、わたしの腕時計を巻きなおし、時間をあわせた。彼は、支度ができたら、おいしい昼食が用意してあるから食堂へ行こうと言った。
角川文庫版『オペラ座の怪人』p218

原作で私が好きなシーンの1つです。
前日の夜、ハープとエリックの歌声を聴きながら寝入ってしまったクリスティーヌが果たして何時に目覚めたのか、その後出口を探して狭い部屋を狂ったように駆け回るのに一体どれほどの時間を費やしたのかは分かりません。
ただ、エリックがしこたま買い出しをして戻ってきたのが午後2時。こんな時間になれば流石の嫁(仮)も起きて身支度済ませているだろうと思っていたのに、いざ帰り着けばそこにはすっぴんで罵詈雑言を飛ばす嫁(仮)。これではどんなに愛情深い夫(仮)も呆れるというものです。

おそらく現実の夫婦や同棲カップルもこんな感じなんでしょうね。
世の中の女性全員にとってそうであるとは言いませんが、化粧は武装なんです。
ただこの武装にも個人差があって、生まれつき完成された立派な甲冑にラインストーンとかを適当にくっつけてデコる程度で済む人種もいれば、甲冑を作るための青銅や鉄を採掘したり革をなめしたりする過程を毎日1から始めなければいけない人種もいるわけです。原作のクリスティーヌは確実に前者側の人間でしょう。

先日Twitterでこんな発言してました。


完全ノーメイクからのスタート、しかも自身が置かれた状況に気づいてしこたま泣いて目を腫らした状態でも、ちゃちゃっと3分メイクするだけで死ぬほど可愛くなれる女。それがエリックの愛したクリスティーヌなのです。

ところでこのクリスティーヌの『3分メイク』についてなのですが、あながち私のクソ妄言というわけでもありません。勿論当時はBBクリームやら色付きリップやらパナソニックのヘアアイロンやら、そんな便利なものは無いんですけど、問題はそこじゃなくて。

前提として、20世紀初頭のフランスにおける女性の化粧が一体どのようなものであったかについても色々調べて述べたいところではあるんですが、学生時代に従来の日本史好きに加えてコスメ好きをこじらせたせいでポーラ文化研究所出版の『化粧史文献資料年表〈増補改訂〉』をネットでポチったこともある私にも詳しいことは分かりません。
ただこちらのサイトに、フランスの化粧史について少し触れた部分があったので引用させて頂きます。19世紀なのでエリックやクリスティーヌがいた時代からやや遡る頃ですが、
19世紀は女性の化粧がもっともミニマリズム的であった時代です。ブルジョワ階級の女性のみが薄い白粉わずかな紅をさす程度でした。雪花石膏のような肌、漆黒の髪、控え目な眼差し、薄青い目元、くびれた腰。メランコリックでか弱いものこそ美しさの化身であったのでした。さらに神秘的で沈鬱な表情を演出するために、女性たちはサフランの煎じ汁や青インクなどを使って褐色の艶や薄青い目元を表現しました。この時代、化粧はまだ舞台役者や娼婦たちの領域にとどまっていたのですが、衛生観念の浸透は広がって、顔やからだのケア製品が数多く出現してくるようにもなりました。
(Dr.Mana 南仏通信より引用)
衛生観念!!衛生観念ですよ婦長!!!
ちなみにこの後、第1次世界大戦(1914~1918)の頃からはスティック口紅が流行りだすらしくて、原作の舞台が1905年なので、どちらかといえばそちら寄りなんじゃないでしょうか。
そうなったらエリックもきっと、クリスティーヌに口紅を贈ったりするんでしょう。
それは叶わない未来となりましたが。

話を原作に戻します。

普通なら「支度のために30分時間を貰ったんだから、化粧に30分かけたんじゃないの?」と思うかもしれません。30分丸々は使わなかったにせよ、ヘアセットや着替えの時間を考えても、15分とか、20分くらいはかかったんじゃなかろうか、と。
ここで30分の猶予を与えられたクリスティーヌの行動を見てみましょう。
わたしはとてもお腹が空いていたので、浴室にはいって彼の鼻先でドアをバタンとしめ、お風呂にはいったけれど、そのまえにまず、よく切れそうなハサミを手のとどくところにおいた。それまで頭のおかしな男のような行動をとっていたエリックが、こんどは非紳士的なふるまいに及んだら、わたしはそのハサミで自殺する覚悟だったのよ。ひんやりした水につかってわたしは生き返ったようになり、つぎにエリックのまえに出たときは、もう彼にさからったり彼の気にさわるようなことはなにも言うまい、必要ならおべっかを使ってでも、なんとかして早く自由にしてもらおうという、賢明な決意を固めていた。
角川文庫版『オペラ座の怪人』p218

ふ、風呂に入っている……

私と同様、ブスである事実は変えられないがまだ人並みの顔を諦められない化粧ガチ勢のクリスティーヌがいたら是非とも想像してほしいんですが、完全ドすっぴんの状態から、「30分後にランチに行けるよう支度をしろ」という旨を男性に言われて、「よーし、じゃあまず風呂入るか」ってなります?!?!?!?!?!!!?!?!??!
しかもその30分で髪の毛のセットと、エリックが買ってきた服を選んで着る作業までしなきゃいけないのに、我々のようなブスに風呂入ってるような時間の余裕なんてあります!?!?
そんなもんねえよ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

つまりエリックから30分の猶予を与えられた場合、私のような人間が

「10分でベースメイク、コントロールカラー仕込んで、コンシーラーでアラ隠して、うわやっべ吹き出物出来てんのに隠れるかな、10分でポイントメイク、ブラウンシャドウにアイラインはブラックでガッツリ、ボリュームタイプのマスカラといつもより盛れるつけま使って、5分で前髪巻いてヘアクリーム使って、はー寝ぐせやっば、プリンもやべえし美容室行っときゃよかった、残りの5分で着替え、うわこんなカワイイ服着たことねえよエリックの趣味なのかなどうすんだコレ、リボンがめちゃくちゃ多いぞ刀派:村正かよ」

となってる間に、クリスティーヌ・ダーエ嬢は

「とりあえず最初はお風呂ね」
「お粉と口紅をパッと塗っておしまい」
「髪の毛はブラシでササッと」
「彼が買ってきたお洋服を着るわ」


という、美少女の余裕を見せつけているわけです。勝てません。完全敗北です。
しかもこれだけてんてこ舞いして出来上がるのは結局化粧の濃いブス。笑うしかねえ~~~
クリスティーヌはこのあと普通に食事に行ってるので、間に合ったんでしょう。
来来来世では橋本環奈の顔に生まれ変われるといいですね。

肝心の記事タイトルの『クリスティーヌ系女子必見!オペラ座の地下空間にて30分後にエリックから怒られないための時短メイク術』についてなんですが、ここまでがあまりにも長くなってしまったので、袋とじをご用意致しました。以下からご覧下さいませ。


書き溜めていた記事は早めに放出してしまいましょう。
ストック用の記事があると気が緩むというか。適度に迫られてた方が良いですから。

先日、ブックオフ正月限定20%オフの張り紙を見て、夜の店内をフラフラしていたところ、こんな本に出くわしました。ブックオフは良い文明。
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萩谷由喜子著、『イラストオペラブック(3) ドン・ジョヴァンニ』
記事を書きながらAmazonで調べていて驚いたのが、発行年1998年なんですよねこれ。
ストーリーに挿入されたイラストや解説部分の画像が綺麗なためか、20年も前の発行物とはとても思えないのです。というか20年……?1998年は20年前……?

それはさておき「ドン・ジョヴァンニ」もファントム好き的に外せないワードです。
作中で初めて「ドン・ジョヴァンニ」、正確には《勝ち誇るドン・ジョヴァンニ》(訳本によって《勝ち誇ったドン・ジュアン》とも)について詳細に語られたのは、ここのクリスティーヌの台詞でしょうか。
その光景があまり不気味だったので、わたしは思わず目をそむけた。すると、パイプオルガンの鍵盤が一方の壁全体を占めているのが目にはいったの。譜面台には楽譜がおいてあり、一面に赤い音符が書きなぐってあった。わたしはそれを見てもいいかと訊いて、最初のページを見ると、《勝ち誇るドン・ジョヴァンニ》と書いてあったわ。『そう』と彼は言った。『私はときどき作曲をすることもあるんだ。その曲を書き始めてから、もう20年になる。それが完成したら、私はその楽譜を持ってそこの棺にはいり、二度と目をさまさないつもりだ』『それなら、そのお仕事はごくたまにしかやらないほうがいいわけね』とわたしは言った。『私はときどき2週間ほど、昼夜ぶっとおしでこの曲を書き続け、そのあいだは音楽が私のすべてになるが、それが終わると、何年も休むのだ』
角川文庫『オペラ座の怪人』p221
先日、ファントムの新規モーション予想記事を書きましたが、今この記事を書いていて赤い音符ネタもいいなあと思いました。赤い音符がぽこぽこ出てきて敵を攻撃する感じの。

さて、エリックはこの箇所で、「作曲を始めてから20年が経過した」「2週間ぶっ通しで書き続けることもあるが、その後何年も書かないこともある」と述べています。1905年時点のエリックが50歳前後だとすると、作曲開始は30歳くらいということになりますね。質・量ともに大作であることは予想でき……いやどうなんでしょう……途中でこれまでの10年分全部破り捨ててまた書き直しとか、このエリックならしれっとやってそうだな……

原作ではこの後、《勝ち誇るドン・ジョヴァンニ》から一曲弾いてくれとクリスティーヌに頼まれたエリックが丁重にお断りするシーンが描かれています。それに続くエリックの台詞。
『この《ドン・ジョヴァンニ》は、ロレンツォ・ダ・ポンテが書いたような、酒や恋の戯れを題材にしながら、結局、悪徳は神の罰を受けるという勧善懲悪主義の台本によるオペラではない。お望みなら、モーツアルトを弾いてあげよう。それなら、きみの美しい涙を誘い、きみに立派な考えをいだかせるだろう。しかし、クリスティーヌ、私の《ドン・ジョヴァンニ》は情熱に燃える男だが、天罰を受けて地獄の業火に焼かれたりはしない!……』
角川文庫『オペラ座の怪人』p221

ロレンツォ・ダ・ポンテヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトと共にオペラ『ドン・ジョヴァンニ』を作ったユダヤ人台本作家。
作中にはアマデウスに限らず、FGO登場サーヴァントの名前が結構出て来ます。ちなみにカルデアボーイズコレクション礼装『キャトルフィーユ』にファントムと共に出演しているアンデルセン、アマデウス、シェイクスピアはとある1つの章に全員名前が出てくるんですよ。この時代彼らがいかに名のある人物だったかがよくわかります。ついでに別の章ですがメッフィーの名前も出てきます。メッフィーは場外でタンバリンとか叩いてそうだね。

ところでカルデアに召喚されたファントムは、アマデウスを見て何かリアクションを起こしたんでしょうか。精神汚染持ちとはいえ、「あー……あ~~……ああ……」くらいに何か思うものはあったでしょう。きっと。
それかむしろアマデウスの方からちょっかい出しに行ったかもしれませんね。アマデウスのことだし。「やあ!原典読んだよ!」なんて言われて凄く嫌そうな顔をするファントムは容易に想像が出来ます。そしてそれにおシェイが加わったりした日にはもう……

話が脱線しましたが、じゃあ『ドン・ジョヴァンニ』とは一体どういうオペラなのか?
それが知りたくてこの本を購入したわけですが、この簡単なイラスト本をめくった所感では、

”世紀のヤリチンクソ野郎ドン・ジョヴァンニが色々とガバガバな登場人物たちに追い詰められ……たというわけでもなくプライドが高すぎて勝手に自滅した”

以外の感想が持てなかったわけですが……これ本当にこういうオペラなんですか……?このイラストブックがガバガバ要約でおかしく見えるとかそういうんじゃなくて……?
読みながらなんでや!!と叫びたくなる場面ばかりで、あまりにもチョロい登場人物たちが繰り広げる突拍子もない展開に終始圧倒されていました。
まあ、実際オペラで鑑賞してみるとまた全然違ってくるんでしょうが……そうオペラですからね。曲をね。聴かないとね。今度聴きます。聴いたら追記します。

話を原作の方に戻しますと、クリスティーヌはこの後、作中最大の”やらかし”をしてしまうわけです。そう、エリックの仮面を好奇心で取ってしまう場面ですね。そこで激昂したエリックは以下のような台詞を吐きます。
『これで満足かね?どうだ、私はなかなかハンサムだろう?……おまえのように私の顔を見た女は、私のものになるんだ。いつまでも私を愛するようになる。私はドン・ジョヴァンニみたいに女にもてるタイプなのさ』
『私をようく見るんだ!私こそ《勝ち誇るドン・ジョヴァンニ》なんだ!』
角川文庫『オペラ座の怪人』p225
ドン・ジョヴァンニはこれまで2000人以上の女性を”征服”している相当な美丈夫です。
「顔を見ただけでその女性は彼を愛してしまう」というのもザラだったようですので。
そんな天性のヤリチンイケメンのドン・ジョヴァンニとはまるで対照的なエリックですが、エリックがこの『ドン・ジョヴァンニ』と出会ったのは何歳ぐらいの頃なんでしょうね。
それ以前にもモテ男の恋物語くらいはエリックも読んだことがあると思いますが、こうして自作の《勝ち誇るドン・ジョヴァンニ》に20年も取り掛かるくらい、何か思うところがあったのでしょう。
ファントムの幕間2が用意されるとしたら、是非触れて頂きたいですね。
既存の幕間は……ファントムについて肝心なことは何1つ分からなかったけど……キャスジルくんとマブダチしてることが分かっただけで尊いから……

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はい。

このイラストブック中では、ドン・ジョヴァンニが「すべては愛なのだ」と言ってのけるシーンが収められています。
「すべては愛」。壮大なセリフですが、エリックにとってもまさにそうだったのでしょう。
恐ろしい程の才能に恵まれ、(手段はどうあれ)金銭的にもさほど困らなかったであろう(『ファントム』中ではまさにそんな感じ)エリックが、唯一にして恐らくこの世の誰よりも持ち得なかったもの、それが「愛」です。正しく言えば、「愛情を受けること」です。
ただ先程の引用箇所にあったように、この『ドン・ジョヴァンニ』がエリックの《勝ち誇るドン・ジョヴァンニ》なのかというとそうではなく、同一視はしていなかった模様。エリックは一体どんな曲を書いたんでしょう。舞台においては、劇中劇という形でしっかりストーリーと曲が用意されているようですが、真の《勝ち誇るドン・ジョヴァンニ》、その内容については知る由もありません。

そのラストにおいて、愛(と欲)の半ば、地獄の業火で身を焼かれたドン・ジョヴァンニ。まさに勧善懲悪の最期でした。エリックは果たしてドン・ジョヴァンニと同じ結末を辿ったのでしょうか。エリックという『悪』は滅びたのでしょうか。そもそもエリックは『悪』だったのでしょうか?例えそうであったとしても、エリックは最後の最期まで愛という情熱に生き続けたのです。ただ、その愛が、彼が本当に欲しかったもの、『クリスティーヌ、我が愛の声』が、自分の元から静かに羽ばたいていってしまった、それだけなのです。

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